「戯画」と関連する論文や著書を通し、「戯画」という絵画のことがより一層わかってきた。
今村みゑ子(2005)は「『鳥獣戯画』を読み解く-戯画の重層性、および「遊び」について-」という論文の中で、主に国宝『鳥獣人物戯画』について分析し、「戯画の表現にはウィットに富んだ、戯れ心が多々働いていると見て取れた」と述べている。
また、同じく国宝の『鳥獣人物戯画』研究として、小松茂美(1987)は『日本の絵巻6 鳥獣人物戯画』で「本巻の『鳥獣人物戯画』は、そこに風刺や寓意が介在しているかどうかは別として、戯画の一つ到達点ともみなすことができるのではなかろうか。いわば、漫画の発生とでもいえるものとみるのは早計であろうか」と述べている。
神谷和男(1958)は「絵巻物史の諸問題 (2) : 戯画の性格」という論文の中で、主に絵巻に現れた戯画性について考察し、「戯画はさりとて特種のものでなく一般的であり、世界のいたる所にもみられる」と指摘された。
榊原悟(1990)は「『をこ絵・ざれ絵・勝絵』三題――日本の戯画」という文章で\751|文'论"文:网www.751com.cn、戯画の手法について、機知的構図、誇張化、擬人化という三つの手法を提起した。
いずれにしても、「戯画」の範囲は大きすぎ、研究範囲をさらに絞る必要がある。そこで、本論文では「戯画」という大きなカテゴリーの中から、さらに絞って江戸時代の達磨戯画をテーマとして選出した。
江戸時代の美術はその多様性が著しい。中でも庶民でさえ楽しめる「浮世絵」という絵画がこの時代の一つの特徴ともいえる。世に広げ、世間を喜ばせるため、江戸人は創造力と想像力を極めて発揮し、我々の注目を集めた。浮世絵と戯画、この二つの絵の間で生まれたものがある。「戯画浮世絵」という名詞もいくつかの本の中に出てきた。ここでの達磨戯画も、「戯画浮世絵」という枠の中のものだと見なされる。清水勲(2013)は『近世・近代漫画略史』の中で「戯画浮世絵には固有名詞を持った人物・妖怪・俗神などがたくさん登場している」と述べている。俗神といえば、達磨や鍾馗などである。
禅を象徴した者として見なす達磨は、非常に江戸人に好かれたようである。それは特徴が強く、影響力や認識力が高いからだと考えられる。「達磨」の絵画作品は、達磨の事跡を踏まえて多くの人に描かれた。人々に対して、達磨は峻厳な存在であり、強固な「意志の人」である。これは嵩山少林寺の「九年面壁」の事跡からも見られる。むろん、その「面壁九年」の事跡は画家たちの手によって描かれた。その中には「慧可断臂図」という「面壁達磨図」の派生物があった。
達磨戯画の研究は少ないというより、むしろほとんどないようである。そこで達磨の事跡を探究し、作品を集め、さらに作品から画家たちが達磨を茶化した内容を感じ取るのが、現在一つできることだと思う。作品の共通性を探し出し、作品ごとについて分析を加え、「達磨戯画论文网」の中に潜んだ「戯れ心」と「諸行無常」などの日本人の心を探ろうと思う。
以下、本論では、「達磨と達磨図」、「達磨戯画作品」、「達磨戯画から見る日本人の心」この三つの部分に分けて論じる。
2.達磨と達磨図
2.1達磨について
達磨は禅を象徴する人物の一人で、別名「菩提達磨」とも言う。その出身は謎だらけで様々な説があるが、南天竺の香至国の第三王子というのが一般的な認識であるようだ。本名は菩提多羅である。達磨は「禅」を悟った最初の人物と呼ばれている。彼の禅の道は、長年を経て時間の変化とともに継承され、現在でも主流思想の一つとして世間に存続している。榊原(1998)は、禅の始祖の達磨が「意志の人」と呼ばれていると述べている。意志の人、それは何が起きても念が動じない「強固な意志」を持っている人のことである。「達