2 タブーの定義と起源
2.1 タブーの定義
日本では、タブーについての解釈は多い、例えば、『広辞苑』の中で、「(ポリネシア語で「聖なる」の意の tabu, taboo から) 超自然的な危険な力をもつ事物に対して、社会的に厳しく禁止される特定の行為、触れたり口に出したりしてはならないとされる物・事柄・禁忌」という意である。そして、『文化人類学事典』の中で、タブーの解釈は、「ある事象(特定の人物、事物、動植物、行為、日時、名称など)が感染性の危険な力を帯びていると見なし、それを見たり、それに触れたりなど様々な行為を禁止することであり、これに違反すればなんらかの災厄に見舞われると信じられていること。タブーを侵犯した者は対象のもつ力の感染によって災厄を被るのみならず、当事者以外の人物や共同体にもこの力は及んで災厄を生むとされる」。そして、柳田国男は『禁忌習俗語彙』で、タブーが二つの意であり、一つは自身の汚いが神聖なものを汚れることを恐れ、二つは不潔と邪悪なものが自分自身を汚れることを避ける。つまり、タブーは「自律性」と「他律性」の二つの意がある。
ところが、中国では、タブーの具体的な定義はない、「タブー」という言葉は、少なくとも漢の時代に現れた、それは『漢書·芸文志·陰陽家』の「及拘者为之,则牵于禁忌,泥于小数,舍人事而任鬼神」と証明される。『後漢書·朗顗伝』には「臣生长草野,不晓禁忌,披露肝胆,书不择言」の話である。ここから分かるように、「禁」が禁止、制限の意、「忌」が忌諱の意、すなわち、心配と嫌いを避けるために、いくつかの言葉と行為を使わない。または、懲罰と危険を避けるため、観念、言語と行為で、人間には制限される。
以上から、中日両国はタブーの解釈の重点は違って、日本人が不吉な意と連想を避けるため、または不吉なものは神聖なものを污れて、自分が災害を招致して、禁止するのを強調する。しかし、中国のタブーには、恐れたり嫌になっていくつかの言葉と行為、ある程度に、人々の言葉と行為を避ける。中国にしても日本にしても、人々はタブーに敬意の念と遵守がある。