四つ目は江南文化の開放性かつ包容力である。江南文化の発展は、古い時代から、他の地域の文化を参考にし、融合させたためである。
2.2 弥生人と江南人の関わりおよび現代の研究の現状
この数年、日本の弥生時代の移民の起源となる地を探求するため、日中双方の文化人類学者は稲作の伝播について深く分析し,体質人類学者は中国古代人の骨について多方面から共同研究を行っている。これらの研究では、起源となる可能性がある地域の一つは、長江流域の呉•越から列島という説である。
日本の弥生人が稲作を始め、さらに発達した稲作文明を持っていたことから、稲作文明の発祥地の一つである中国南方は弥生人の祖先と結び付けられる。
中国浙江省余姚県の河姆渡新石器时代遺跡では、既に7000 年前と50000 年前のもみが発見されている。これらのことから、そのときには、既に大規模な稲作が行われていたということがわかる。河姆渡人は高床式の家屋に住み、船を操り、陶器を製作・使用したことが明らかになっている。陶器には、釜型陶器の腹底部に縄模様をジクザクに押印することが盛んに行われた。
また、海洋の潮流と季節風から考えれば、中国の江南人が直接海を渡って日本に到達した可能性がある 。前文でも述べた通り、中国南方人(「越人」あるいは「百越人」と言われる)が、紀元前 3 世紀前後の政治的動乱のため、一部は海を越えて日本に東渡し、「倭人」、即ち弥生源`自,751`文.论"文'网[www.751com.cn人となったのである。
1994年から、日中の人類学者は、「江南人骨日中聯合調査団」を組織し、中国江蘇省で発掘された紀元前 6 世紀から紀元後 1 世紀までの古代人骨と、おおよそ同時期の西日本の縄文・弥生人骨について、多方面での共同の比較研究を進めた。頭蓋骨の比較やその他多くの研究を経て、その結論は以下のようになった。新石器時代における中国の江南人と日本の縄文人の形態的違いは非常に大きいが、江蘇(江南から淮北までの広範な地域を含む)の春秋時代から前漢時代までの人と、日本の渡来系弥生人との間には、強い類似性があり、このことから、弥生人との類似性を持った古人骨集団の分布地域は、僅かに朝鮮半島があるだけでなく、さらに山東半島から江南に至るまでの広大な地域もその中に含まれると考えることができる。これにより、弥生時代とその直前における大陸移民の故郷の探求は、今後は朝鮮半島と華北にだけ注意することはできず、また淮河や長江下流も視野に入れ、とりわけ淮河流域、即ち江蘇北部を重視すべきである。もし江南を起点とする稲作文化とその継承者の拡散という視点から離れたならば日本人の形成を論ずることはできないが、今後はさらに華南ないし東南アジア地域にまで視野を広げなければならない。
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